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鶴岡八幡宮 鎌倉市雪ノ下2−1−31 JR横須賀線・江の電 鎌倉駅下車 徒歩5分 |
![]() 雪ノ下二丁目に鎮座。 祭神応神天皇、非売神、神功皇后。 例祭九月十五日。 元国幣中社。境内に摂社若宮・末社武内社・丸山稲荷社・白旗神社・祖霊社・旗上弁財天社・境外末社に今宮・由比若宮がある。 宇佐・石清水と共に全国の八幡宮を代表する大社である。 康平六年(1063)源頼朝が奥州を鎮定して帰り、海岸近く由比郷鶴岡の地に密かに石清水八幡宮を勧請し鶴岡若宮と称した。
その後治承四年(1180)源頼朝が鎌倉に入ると小林郷北山に遷座し、鶴岡八幡宮若宮と称した。 建久二年(1191)町の大火に類焼したので、社殿を大臣山の中腹に造営し、新たに石清水八幡宮を勧請して鶴岡八幡宮を創建した。今の本宮(上宮)である。 このとき若宮(下宮)も再建して上下両宮となった。 以来当社は鎌倉幕府の宗祀の首座に置かれ、現時の氏神、武門の守護神として厚く崇敬された。 将軍は年初に社参し、朝廷からの除書を勅使から受けとる時も、拝賀の式も社頭で行うのを慣例とした。 室町幕府、鎌倉御所、小田原の北条氏、江戸幕府も頼朝の尊崇を例として、社領の寄進、社殿の修造等に努めた。 祭祀組織は社務職すなわち別当を上首とし、二十五坊の供僧・神主・小別当・社人・承仕・伶人・神楽男(職掌)・八乙女(巫女)・神官・経師・大工などがあった。 社殿のほか、仏堂には、上の段には六角堂・愛染堂があり、下段に薬師堂・輪蔵・護摩堂・大塔・鐘楼・二王門・北斗堂・千躰堂などがあり、社と堂塔の混在する宮寺制であった。 末社も現存するもののほかに、熱田社・三島社などは『吾妻鏡』にもみえ、三輪・住吉・天神・松童・源太夫・夷三郎・高良・神明・大黒社・柳営社などがあった。 明治維新の神仏分離に際して諸仏堂をはじめ、存続した十二坊は取除かれ、諸末社は統合され、供僧は総神主となって、祭礼を続けた。 明治十五年国幣中社に列格、昭和二十年、制度は改まって宗教法人となった。 社殿は上下両宮同型式の流権現造で、上宮は文政十一年(1828)将軍徳川家斉の造営、下宮は寛永元年(1624)同家光の修造である。 上宮には楼門・回廊・下段に舞殿(下拝殿)が完備し、回廊の西側は宝物殿になっている。 東側は古くは公文所と、本地仏を祀る座不冷檀所とがあった。座不冷とは文字通り座の冷えないことで、供僧が時を置かず交代で勤行した壇所である。 明治六年明治天皇親拝の時、軍服を衣冠束帯に着替えられた所であった。 例祭には神輿三基を中心に神幸祭があり、御旅所で鎌倉神楽の八乙女舞が行われる。 翌十六日に流鏑馬神事が斎行される。 文治三年(1187)の放生会に源頼朝が将士らを選んで行って以来、馬場も設定され、今日では小笠原宗家が奉仕している。 そのほか年中祭祀は数多く、年間を通じて奉賽の参詣者が多い。
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| 【出 典 名】鎌倉事典(白井永二 編)東京堂出版 |