寿 福 寺

(じゅふくじ)

鎌倉市扇が谷1-17-7
JR・江の電 鎌倉駅下車

亀谷山寿福金剛禅寺と号す。
臨済宗建長寺派。鎌倉五山第三位。

頼朝が死没した翌正治二年(1200)北条政子が明庵栄西を招いて創建した。

この地に頼朝の父義朝の旧邸があり、治承四年(1180)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(幕府)を構えようとしたが、 すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。

境内は史跡。初期の寺容は総門・仏殿・庫裡・方丈以下を擁していたものの、規模は完備していなかったらしく、禅刹として体裁を整えたのは弘安元年(1278)頃と推定されている。

将軍実朝は再三寿福寺へ参詣して栄西や鎌倉で諸仏事の導師をつとめた。
当寺は鎌倉初期に特殊な寺格をもって繁栄したが、『海道記』(貞応二年<1233>)や『東関紀行』(仁治三年<1242>)の作者は、寿福寺についてふれるところがない。

宝治三年(1247)に火災にあい、正嘉二年(1258)の回禄では一宇を残さぬまで焼失している。これらの復興は、伝実朝墓五輪塔などの存在から、 おそらく南北朝時代の頃と思われる。

寿福寺には二世退耕行勇をはじめ、心地覚心・円爾弁円・蘭渓道隆・大休正念など、多くの名僧が入寺した。鎌倉の禅宗文化を考える上で、特異な存在の寺院である。

寺背後の墓地には、やぐら内に伝実朝墓・政子墓がおさまり、明治の外交官陸奥宗光や俳人高浜虚子の墓もある。


  【出 典 名】鎌倉事典(白井永二 編)東京堂出版